読み句
【い】異国への 夢も運んだ 長崎街道
【長崎街道】
江戸時代に小倉〜長崎間を結んでいた全長五十七里(約二百二十四キロメートル)の街道。江戸へ続く道として多くの要人が往来した。当時、西洋との唯一の窓口であった長崎からこの街道を通じて西洋の文化・技術が伝えられた。
【いのちのたび博物館】
生命の進化の道筋と人のいのちの歩みを壮大なスケールで展示解説した西日本最大級の自然史・歴史博物館。大人気のティラノサウルスや全長約35mのセイモスサウルスなど迫力ある恐竜の骨格標本が一堂に並んでいる。
【え】江戸めざし 白象が行く 常盤橋
【常盤橋】
江戸時代、小倉の五街道である「門司往還」「中津街道」「秋月街道」「長崎街道」「唐津街道」と小倉を結ぶ交通の要衝として多くの人々が往来したほか、将軍徳川吉宗へ献上する白象もこの橋を渡った。
【お】鷗外の 往時を語る 小倉の日記
【森鷗外(一八六二〜一九二二)】
明治三十二年(一八九九)に軍医部長として小倉へ着任、二年十ヶ月を過ごす。小倉滞在の様子を記した「小倉日記」が知られる。小説「鶏」の舞台となった鍛冶町の住宅は、現在「森鷗外旧居」として公開されている。
【か】カルストの 羊群れなす 平尾台
【平尾台】
日本を代表する三大カルストの一つ。標高六百メートル、東西二キロメートルにわたり高原が広がる。白い石灰岩が羊の群れのように広がる風景から羊群原とも呼ばれている。周辺には、千仏鍾乳洞、牡鹿洞などの鍾乳洞も多数ある。
【き】九州と 本州をつなぐ 夢の橋
【関門橋】
関門海峡を結ぶ唯一の吊橋として、昭和四十八年(一九七三)に開通。全長千六十八メートル、桁下六十一メートル。橋下の関門海峡は源平最後の合戦である「壇ノ浦の戦い」や宮本武蔵、佐々木小次郎が闘った「巌流島の決闘」の舞台としても知られる。
【く】雲の峰 シュガーロードの 松並木
【曲里の松並木】
江戸幕府が全国の街道に松や杉を植えた名残として往時の面影を残す長崎街道の一部。南蛮貿易で輸入された砂糖が長崎街道を通じて江戸へ運ばれたことから「シュガーロード」とも呼ばれている。
【け】健次郎への 金吾のオマージュ 松本邸
【旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)】
鉱業を興して成功し、明治専門学校(現在の九州工業大学)を創立した産業界の重鎮、松本健次郎の邸宅で、国の重要文化財に指定されている。洋館の設計は東京駅・日本銀行本店を手がけた辰野金吾。アールヌーボー調が美しい。※オマージュ(仏語:尊敬、敬意の意)
【こ】小文字の 迎え火ゆれて 盆の入り
【足立山】
和気清麻呂がこの山麓の冷泉で足を治したことから足が立つ山「足立山」と呼ばれるようになったとも伝えられている。毎年、八月十三日には平和を願う盆の迎え火として小文字焼きが行われている。(標高五百九十七・八メートル)。
【さ】皿倉山に 百億ドルの 夜景あり
【皿倉山】
権現山、帆柱山などとともに帆柱連山を形成している。市街地からも近く、ケーブルカー、スロープカーを乗り継ぎ山頂へ登ることができる。新日本三大夜景にも選出された夜景は多くの人を魅了する。(標高六百二十二・二メートル)
【し】じんだ煮は ふるさと自慢の 祖母の味
【じんだ煮】
「じんだ煮」または「ぬか炊き」と呼ばれる北九州の郷土料理で、さばやいわし等をぬかで炊き上げたもの。「じんだ煮」は江戸時代から保存食として受け継がれ、今も北九州の家庭料理として親しまれている。
【す】ステーキ すき焼き 小倉牛
【小倉牛】
厳しい品質検査を経て、年間わずか百頭程度のみ認定される「小倉牛」はまさに厳選された牛の称号。旨みたっぷりの肉汁、舌の上でとろけるような柔らかさ、きめ細やかな肉質が特長の黒毛和牛。
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokuraminami/file_0077.html
【せ】清張の 足跡残す 小倉まち
【松本清張(一九〇九〜一九九二)】
福岡県企救郡板櫃村(現在の小倉北区)で生まれる。朝日新聞社勤務時代の昭和二十八年(一九五三)に「或る『小倉日記』伝」で第二十八回芥川賞を受賞。その後も「点と線」「ゼロの焦点」など数多くのベストセラー作品を発表した。
【そ】曽根干潟 生きてる化石 カブトガニ
【曽根干潟】
小倉南区の曽根新田の海側に広がる北部九州最大(五百十七ヘクタール)の干潟。カブトガニの日本有数の生息地。渡り鳥の越冬地としても知られ、世界的にも希少な「ズグロカモメ」等多くの野鳥が飛来する。干潟の沖合には洋上空港の「北九州空港」がある。
【た】樽太鼓 叩けや唄え 五平太ばやし
【五平太ばやし】
日本一の石炭積み出し港として栄えた若松。五平太船により石炭を運んだ船頭達が船縁を叩き、はやり唄を口ずさんだのが起源とされている。七月に開催される「若松みなと祭り」では甲高い木樽の音色が街に響き渡る。
【ち】提灯で 五色に焦がす 戸畑の夜
【戸畑祇園大山笠】
疫病退散祈願の成就を祝う奉納行事が起源とされる。二百年を超える歴史を誇り、平成二十八年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。昼は優美な幟山笠、夜は三百九個の提灯を十二段に重ねた提灯大山笠と昼夜で姿を変え、戸畑の街を練り歩く。例年七月の第四土曜日を挟む三日間開催される。
【つ】梅雨の雨 紫陽花濡らす 高塔山
【高塔山】
若松区の市街地に接する丘陵地にあり、展望台からは洞海湾、若戸大橋、戸畑、八幡の街並みを一望できる。春は桜、初夏は紫陽花の名所として知られ多くの人で賑わい、市民の憩いの場となっている。(標高百二十二メートル)
【て】鉄の街 日本を支えた 溶鉱炉
【八幡製鐵所】
明治三十四年(一九〇一)に官営八幡製鐵所として創業。日本の近代産業の発展を牽引してきた。現在は、新日鐵住金株式會社八幡製鐵所として操業。毎年十一月には創業を記念し、「まつり起業祭八幡」が開催されている。平成二十七年、官営八幡製鐵所関連施設が世界文化遺産に登録される。
【と】殿様も ちょっといっぷく 銀杏屋で
【立場茶屋銀杏屋】
江戸時代、長崎街道・黒崎宿と木屋瀬宿の間の休憩所として参勤交代の諸大名が立ち寄った。家屋は「上段の間」を持つ格式の高いつくりとなっている。「銀杏屋」の呼び名は庭にある大きな銀杏の木に由来している。
【な】七色の 煙塗り替え 青一色
【環境首都】
北九州市は公害の克服や循環型社会への取り組みが認められ、平成二十年七月に環境モデル都市として国内で初の認定を受けた。今後も、低炭素社会づくりの構築に向け、世界へ先駆けた取り組みを進めていくこととしている。
【に】人情が 旦過市場の かくし味
【旦過市場】
鮮魚、野菜、乾物など百五十軒以上の店舗が集まる北九州市最大の市場。市民の台所として毎日多くの人で賑わう。周辺には日本初の二十四時間スーパーのほか、おでん・ラーメンの屋台等があり観光客も多く訪れる。
【ぬ】ぬくもりを そっと解いて かしわめし
【かしわめし】
大正十年、筑紫軒(現在の㈱東筑軒)が折尾名物「かしわめし」に販売を開始。折尾駅では、今でも立ち売りが行われている。現在では、複数の駅弁会社により、市内主要駅で「かしわめし」が販売されている。
【ね】ねりあげる 最高潮の 黒崎祇園
【黒崎祇園】
岡田神社、春日神社、一宮神社の氏子により行われている祭礼。四百年を超える歴史があり、華やかな装飾を施した山車が大太鼓・小太鼓、鉦、ほら貝と共に独特の調子で街を練り歩く。例年七月二十〜二十三日に開催。
【の】農民の 命をつないだ 猿喰新田
【猿喰新田】
大里村(現在の門司区)の庄屋であった石原宗祐が飢饉に苦しむ住民を救うため、私財を投じて猿喰海岸の大規模な干拓を行った約三十三ヘクタールの水田。海水を調水する汐抜き穴は市の指定文化財(史跡)に認定されている。
【は】春の味 合馬の竹の子 日本一
【合馬のたけのこ】
北九州市で最も高い福智山(標高九百・六メートル)の山麓に広がる小倉南区合馬地区。山麓の豊かな自然が広がる合馬の竹林で生産されるたけのこは、アクが少なく、柔らかいのが特徴。高級たけのことして全国へ出荷されている。
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokuraminami/file_0121.html
【ひ】百万の 汗が飛びちる 夏祭り
【わっしょい百万夏まつり】
市制二十五周年を機に、昭和六十三年(一九八八)に始められた本市最大の夏祭り。勝山公園周辺を中心に市内の祭りが集まる「夏祭り大集合」や「百万踊り」などが開催され、毎年百五十万人を超える人々でにぎわう。例年八月の第一土・日曜日に開催される。
【ふ】古き佳き 時代とどめて 門司港駅
【門司港駅】
大正三年(一九一四)年に建設された九州最古の木造駅舎。昭和六十三年(一九八八)十二月、駅舎として初めて国の重要文化財に指定された。大正時代の面影を残す駅舎は、門司港レトロ地区の玄関口として賑わっている。
【へ】部埼から 船人見守る 清虚さま
【僧清虚(一七七七〜一八五〇)】
豊後(現在の大分県)で生まれる。潮流が速く航行の難所であった関門海峡を通過する船の安全を願い、部埼の山上で十三年にわたり火を焚き続けた。部埼には彼の偉業を讃え清虚像が建立され、航行する船を今も見守っている。
【ほ】僕たちの 元気を集め 向日葵咲く
【向日葵】
キク科の一年草。北九州市制二十周年を記念し、市民応募により「向日葵」と「つつじ」が市の花として制定された。本市のJリーグチーム「ギラヴァンツ北九州」のシンボルマークも向日葵をモチーフとしている。
【ま】孫次凧 戸畑の空を ひとりじめ
【孫次凧】
竹内孫次氏により創作されたセミをかたどった色鮮やかな凧。孫次氏の名前をとり「孫次凧」と呼ばれる。現在は孫の義博氏が制作。ユニークな形とぶんぶんと音を立て空に舞い上がる姿は見る人の目を楽しませてくれる。
【み】水しぶき 化粧美人を 菅生(素顔)にし
【菅生の滝】
小倉南区道原の国有林内の紫川上流にある滝。一ノ滝・二ノ滝・三ノ滝の三段にわかれており、最大落差は約三十メートル。「菅生の滝」の名は滝のしぶきの勢いで女性の化粧が落ちて「素顔」になることに由来しているという。
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokuraminami/file_0072.html
【む】結ぶ五市 ひとつになって 北九州
【五市合併】
北九州市は、昭和三十八年(一九六三)に門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市の対等合併により誕生。九州で初の政令指定都市に指定された。九州の東北端に位置し、北は響灘、東は周防灘に面している。人口九十八万三千人、面積四百八十七平方キロメートル(平成二十一年現在)。
【め】メガネ橋 ダムを彩り 歴史を語る
【河内貯水池】
鉄鋼生産に伴う工業用水を確保するため、八幡東区河内地区に建設された。湖面中央にはレンティキュラー・トラス様式で建造された橋としては日本で唯一現存する「南河内橋」がある。特徴的な橋の形状から「メガネ橋」とも呼ばれている。
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/yahatahigashi/menu25_0012.html
【も】「もったいない」 捨てずに再生 エコタウン
【エコタウン】
資源循環型社会の構築を目指すエコタウン事業として平成九年に国内で初の認定を受けた若松区響灘に広がる環境産業団地。OA機器等のリサイクル工場のほか、環境技術開発のための実証研究エリアも整備されている。
【や】焼うどん 小倉の味を 楽しもう
【焼うどん】
終戦直後の食料難の時代に焼そばのそば玉の代わりに干しうどんを代用したのが始まりとされる。小倉の街では多くの飲食店で「焼うどん」がメニューにあり、庶民の食として今も多くの人に愛されている。
【ゆ】揺れる提灯 祇園太鼓の 歩き打ち
【小倉祇園太鼓】
小倉城を築城した細川忠興が、無病息災を祈るとともに城下町の繁栄策として始められた。太鼓の両面打ちを特徴とし、甲高い音の「カン」、にぶい音の「ドロ」がジャンガラ(摺り鉦)のリズムにあわせ小倉の街を練り歩く。例年七月の第三土曜日を挟む前後三日間開催される。
【よ】夜宮から 菖蒲が初夏の 香をとどけ
【夜宮公園】
戸畑区の中央に位置し、花見や散歩の名所として市民の憩いの場となっている。毎年六月には「とばた菖蒲まつり」が開催され、約二万本の花菖蒲が咲き誇る。冬は梅、春は桜の名所としても知られ、四季折々の花が訪れる人の目を楽しませてくれる。
【ら】落陽で 真っ紅に染まる 千畳敷
【若松北海岸】
玄海国定公園の玄関口にある若松区脇田から岩屋へ続く海岸。板状の砂岩が広がる「千畳敷」、夕日の名所として知られる「遠見ヶ鼻」のほか、海水浴、釣りのスポットとして多くの観光客が訪れる脇田海岸等がある。
【り】凛とたつ 東田高炉 技の街
【東田第一高炉】
明治三十四年(一九〇一)二月五日に東田第一高炉への火入れが、同年十一月十八日には開所式が行われ、日本の近代製鉄の歴史が始まった。現在の建物は昭和三十七年(一九六二)に建設されたもので、日本の近代化を支えた史跡として公開されている。
【る】流転の日 芙美子の思い出 海峡に
【林芙美子(一九〇三〜一九五一)】
北九州市門司区で生まれる。九州各地を転々とし、幼少期を過ごす。昭和五年(一九三〇)に自らの半生を題材にした「放浪記」を出版。その後も「浮雲」、「晩菊」など多くの優れた作品を発表した。
【れ】レトロとは 門司の港の ことなりと
【門司港レトロ】
北九州市を代表する観光スポットとして年間二百万人を超える観光客が訪れる。関門海峡を望む門司港レトロ地区には旧門司三井倶楽部、旧門司税関など、明治・大正時代から残る建物が立ち並び、異国情緒あふれる風景が広がる。
【ろ】櫓山荘 久女多佳子の 句碑いだき
【櫓山荘】
大正九年(一九二〇)橋本豊次郎が小倉北区中原に建てた洋館。文化サロンとしてにぎわった。後に俳人となる豊次郎の妻・多佳子と杉田久女の出会いの場ともなる。現在は櫓山荘公園として整備、二人の句碑が建つ。
【わ】若戸大橋 洞海湾を ひとまたぎ
【若戸大橋】
若松〜戸畑区間を結ぶ深紅の吊橋。昭和三十七年(一九六二)に開通した全長二千六十八メートル、桁下四十二メートルの若戸大橋はその後の日本の長大橋の先がけとなった。橋とともに洞海湾を結ぶ若戸渡船も市民の足として親しまれている。
【を】故郷と 河童を愛した 火野葦平
【火野葦平(一九〇七〜一九六〇)】
北九州市若松区で生まれる。昭和十三年(一九三八)『糞尿譚』で第六回芥川賞を受賞。『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』の兵隊三部作で国民的作家となる。「花と龍」など本市を舞台とする作品も多く発表した。
【小倉城】
細川忠興が慶長七年(一六〇二)から七年の歳月をかけて築城。その後は小笠原氏が入城し、二百三十年にわたって小倉藩を治めた。現在の天守閣は昭和三十四年(一九五九)に再現されたもので都心のシンボルとなっている。
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